人の意思決定は間違えばかり!?



私たちは日常生活で、さまざまな思考を行います。
私たちの中には、二つの意思決定のシステムが存在しています。
一つ目は、直感的な思考。二つ目は、論理的な思考。この二種類にどのような特徴があるのでしょうか。


直感的な思考
直感的な思考では主に自分の記憶を参照して、意思決定を行います。
たとえば、曇った空を見たらなんとなく「今日は雨が降るかもしれないから、傘を持っていこう。」とか。
つまり、連想記憶ですね。「日本は終わった国だ」と誰かが言っているとしたら、その人は日本の高齢化社会を思い浮かんだで言っているのかも知れませんし、もしかしたら偶然見た日本人がくそやろうだったから、それから連想されたのかもしれません


この直感的思考のいいところは、ただ記憶を参照するだけなので、認知的な負担があんまりないので、簡単に色んなことができることあります。
また、将棋騎士や消防士、ビジネスマンなどの決断を迅速に正確に、行わなければならないとき重要な役割になってきます。つまり、それなりに記憶の蓄えが十分頭の中に存在するとき、直感の精度はそれなりに上昇します。


そして、悪いところとして。心理学的に言うバイアスが存在しやすくなるということです。つまり、直感的思考とはあくまで連想記憶から構成された判断なのです。ですから、さまざまなシチュエーションのときにエラーを呼び覚ましてしますのです。


以下では直感的思考がどのように私たちの日常生活に役立ったり、邪魔をしているか述べて行きたいと思います。


プライミング効果
たとえば、私がマイクといったとしましょう。
それより、直前の会話において楽器の話をしていたとき、マイクは拡声機のマイクを思い浮かべる人は多いでしょう。
逆に、直前にアメリカ人の話をしていた場合、アメリカ人のmr.マイクを思い浮かべる人が増えると思います。これをプライミング効果といいます。
プライミング効果とは、人の連想はそれより直前の記憶に影響されやすいため生じます


また、ご老人について思い浮かべて下さいといわれたグループは、歩行速度が低下します。逆に歩行速度を遅くしてくださいといわれたグループは、老人にまつわる話が思い浮かびやすくなります。
このように、特定の概念を連想させることによって人は行動まで、変えてしまうことわかっています。
他にも、死を連想させたグループは独裁者にしたがいやすくなったりします。
また、罪について連想させたグループは体を洗い流す、石鹸や洗剤などを買うケースが増えるようです。
お金について連想したグループは自立性が強くなり、他人に依存しなくなるといいます。




人は見慣れたものを好きになる?
人は日常生活において、さまざまな処理を頭の中で行っております。その中で認知が簡単なものとそうでないものが存在します。
知り合いと他人。自分の車と他人の車などなど。実はこの認知のしやすさがそのものを好きか嫌いの判断に介入しているのです。
これを言い換えると、簡単なものは直感的な思考をできるため好きになる。
しかし、複雑で難しいものは論理的に考えるため、認知の負担が上昇しそれを避けるようになってしまうということですね。


実験者に太字で書かれた文字と細字で書かれた文字のどちらが真実を書いたものか?と質問をします。また、文章の中身はどちらも嘘の内容となっており
その結果わかったことは、太い字書かれたものの方が真実であるという風に認識する人はが続出したわけですね。つまり、どれが真実?と考えるときに直感的に読みやすいからこっちが真実だと考えるというわけです。


他にも、会社の株価と会社の名前の読みやすさも関係があります。株式公開をしてからしばらくの間では、その会社の名前が読みやすいかどうかで、会社の株価を予測することがある程度は可能なのです。


「頭が楽なら、顔には微笑みを」という内容の論文では、被験者に馴染みのある写真とそうでないときの写真を見せたときに、馴染みのある写真をみた被験者は無意識に微笑を浮かべ、そうでない写真を見たときはしかめるような表情をしたことがわかっています。


これを応用した心理テクニックは単純接触効果ですね。人は複数回数接触をした人を好きになる傾向があるのです。つまり、複数回接触することで記憶を参照した直感的な思考が簡単にできるため相手を好きになりやすくなるのです。ですから、イケメンはテレビが作る説を僕はかって思っています。
テレビ出るーー見慣れるーーイケメンだと認知するようになる。
塩顔イケメンとか、時代によってイケメンの定義ってかわりますよね。
さらに、美人、美男子はその国の人種を平均的な顔だといいますし。僕らはただ見慣れた顔すきなんじゃねーのかとか思いますね。


他にも、人がどのような音楽を好きになるのか調べた結論として、日常生活でもっともよく聞く音楽のほうが人は好きになる傾向があったそうです。思い浮かべてください。あなたはどんな曲が好きですか?そして、それは本当に最初から好きでしたか?


まあ、僕の書く文章は非常に読みにくさに好評がありますので笑
皆さんに、科学的に正しさをアピールしたいなら、僕はもっと読みやすい文章を書く努力をするべきなのかもしれませんね笑
徐々に改善していきたいです


原因の理解はただの連想記憶?
例えば、友人が雨の日に「さっき転んじゃってさー」と言うとしましょう。するとみなさんの頭の中にはまず、地面が濡れていてそのせいでころんだんだねと考える方が多いと思います。そうなんです、つまり原因の追究は現象から連想されることにとって決まることが多いのです。しかも、それは論理的に決まるのでなく、ほぼ直感的に決まることが多いのです。
例えば、心理学の専門家がこう言ったとします。
「日本の会社は、終わっている」
ニートがこう言ったとします。
「日本の会社は、終わっている」
僕なら、心理学の専門家には
「うんわかる!労働時間とか無駄に長いことを言いたいんだろうなーー」
ニートには
「うーん、メンタル弱いのかな? 愚痴はいいけどもっと生産的なことを考えようね」とか非常に無意識の中で連想するかもしれませんね。


これらの人々がなぜそれを言ったのかと考えるときに、直感的にさまざまなイメージがわいたと思うのですが印象はかなり違いますよね。なにが問題かというとこの直感は、統計的原因の追究を非常に苦手にしているのです。
つまり、心理学の専門家は実はあまり会社に詳しくなく自分の会社の愚痴を言ってるだけかもしれませんし、ニートの方は病気とかやもおえない事情で仕事をできないかもしれませんよね。
つまり、真実とは大きく離れたことを原因にしてしまうことが多いのです。
また、すべての現象に対して認知的負荷を増やして真実を追究するのは現実的ではないので、少しづつ自分の知識の精密性(統計的に真実のみの情報を仕入れるとか)、自分の思考を観察する努力(マインドフルネス瞑想などは自分の思考を観察能力が向上するのでおすすめ)をするほうがいいのかもしれませんね。


見たものがすべて
ある実験では、まずはじめに以下のように説明します
「ある心理学の実験では、次のような実験がある。10人くらいの人々がいる状況で1人が誰かが発作を起こしたとしよう。すると、残りの9人は他の誰かが助けてくれるだろうと考えて、誰も助けに行かなかった。」
それから、次に二人の人物を紹介する。それらの人物は非常に親切、非常に平均的な目標と趣味を持っている好ましい人物です。
そこで、彼らに先ほどの実験を参加してもらって、誰かが発作が起きたとき二人は助けにいくか?と質問します。するとすべての人々ははじめに心理学の実験の話を聞かされたのにも関わらず、あれだけ信用できる人物なのだから、二人の人物は必ず助けに行くだろうと予想したのです。
つまり、心理学的知識を手に入れているのにも関わらず、直感的にはまったく異なる結論に達してしまったということになります。
これは、私たちが日常生活で得た知識は本当活用できないのではないかと疑惑が生じますね。
逆に、先に二人の人物がどうのような行動をとったのか、ビデオを見せてから。実験の結果はどのようになったかを予測させるとなんとほとんどの人々は実験結果を予測できたのでした。
つまり、私たちの脳は何か統計的な事実からものごとを学ぶときに、自分の信念とかけ離れているものは他ごとのストーリーとして処理されてしまいます。逆に自分の主体的に感情を揺さぶられた真実というのは、頭に残りやすいのですね。
へえーそうなんだー程度の認識しかされないのですね。
ですから、人というものは自分の経験からものごとを学ぶことが、一番学習の効果を得ることができるとういうわけですね。
何かの統計的情報から、教訓を学ぶことを非常に苦手とするのですね。。。
非常に耳が痛い話です。私のような真実好きとしては。
まあ、そもそも記憶の想起はシチュエーションにかなり依存するので、ひとつの真実にたいして過去の体験を参照して具体例を挙げていくといいといいましね。
ですから、本のようなものは少しの真実を伝えるために、多くのページを費やし具体例を沢山だしていますよね。知識を知恵に発展させるには、それなりに大変な作業だということなのですかね。
だから、学校の教科書の垂れ流しとか最悪ですよね。ほとんど覚えていません笑。まあ、自分の記憶を参照して積極的に主体的経験にした人はおぼえれたと思いますが。ですから、大事なのは人は基本的にストーリーがなかったり主体的でない経験は非常に記憶することや連想することが苦手だということですね。
ですから、すごく説明上手の人は日常生活の例えなどを出す人とか多いですよね。



まとめ
このように、基本的に人の判断を無意識に行うときは連想記憶から構成されていることが多いので、ちゃんと自分の思考は合理的なのか悩む必要があるとういうわけですね。


まあ、簡単に言っていますが基本的にすべての現象に対して合理的な思考をするのは、非常に疲れますし、楽しくないですよね。
ですから、直感的思考に対する対策として、
1、正しい記憶を構成して、正しい判断をできるようになる。
2、人はどのようなバイアスが存在するのか学習して、定期的に自分の思考を客観視する。
などがございます。


1、は基本的に自分がどのような情報を信頼して、記憶しておきたいか的を絞る必要があるとういうことですね。かの名探偵シャーロックホームズの言う「脳の中の屋根裏部屋の整理整頓」といったところですね。
例えば、テレビ媒体で記憶を構築するとすると、悲惨な交通事故や他人に悪意について必要以上に触れるので、欝になりやすくなるという研究もありますから。なにが自分にあった情報か考える必要がありますね。


私の場合は、科学的事実を真実として、情報を収集しているつもりですが、、、幾分か、主体性、ストーリー性がないと日常生活に連想しずらいと思うので、統計情報を日常生活の記憶と結びつけるように努力はしております。


2、はまず、人はどのような思考の過ちの種類があるのか学習して、それを日常生活の思考にあてはめるていくとうことですね。つまり、心理的バイアスはどのようなものがあるのかな?と知っておくだけでまだましになるわけですね。