損失回避と確定性の心理学


人が得たときのお金と実際の喜び
行動経済学では、プロスペクト理論というものがございます。


詳しくは、上記のリンクで紹介されています。
ざっくり言えば
1.人はお金を得たときの喜びは比例的に挙がるのではなく喜びは徐々に下がる傾向にある。
2.人の喜びは経済学で言うどれだけお金を保有しているかではなく、どれだけお金を得ることができたかによる。
3.損失は取得の約2倍以上感情的に嫌なものになる。・・・1


というものです。



主観的な確率と実際の確率

上記のグラフを確率加重関数といいます。
確率加重関数とは主観的な確率を縦軸に、実際の確率を横軸に現したものです。
何かを失うとき、たとえば
「あなたは、明日1%の確率で死にます。」といわれたときと
「あなたは、明日5%の確率でしにます。」と言われたとき
期待値としては、5*(0.01*明日死ぬ確率)=0.05*明日確率


という計算がなりたち、下のほうが五倍も上よりも死ぬ確率が高いのに、実際は普通の人が五倍自分が明日死ぬ気がするかと聞かれたらなんとなく、微妙な気がします。
1%と言われてただけでも、かなり嫌な気分がしますよね。


逆に何かを得るとき、例えば
「明日確実に90万円手に入りますよ」
「明日90%の確率で100万円手に入りますよ」
と言われたらどちらも期待値は同じですが、なんとなく上の方が好ましいと感じてしまいます。


これらの理論の応用例
それじゃあ、具体的にこれらの理論はどのようなときに使えるの?という話になりますよね。


トレーダーは利益の確定は簡単でも、損切りは苦手
利益の確定とは例えば、10000円で買った株の値段が100円から102円になったとします。このときに私が株を誰かに売ることを利益の確定といいます。この場合2*100円の利益を私は得ることができます。これを利益の確定といいます。


逆に、損切りとは、10000円で買った株の値段が100円から98円になったとします。このときに私が株を誰かに売ることを損切りといいます。この場合2*100円の損失をこうむることになります。これを損切りといいます。


普通の人が、トレードをするときに利益の確定は早いのに、損切りはいつまでたってもできないという心理が働きます。
これは、損失を非常に恐れるためもしかしたら、もとの額に株価が戻ってしまうことを願います。
逆に、利益を確定するときそれ以上利益がでる実際の可能性は50%以上だとしても、現在の利益が減ることを恐れて、利益を確定できないのです。


裁判はふっかけたほうが有利
例えば、相手への嫌がらせとして、企業に対して1億円の適当な訴訟を起こしたとします。すると相手は裁判に負ける確率が1%だとしても、主観的な確率は非常に高いため相手に対して和解金を払うパターンが多いそうです。しかも、訴訟の和解金は本来なら期待値は0.01*1億=100万円程度ですが、実際はその倍ほどの値段が払われることが多いのです。


なぜ、事実と異なるとらえ方をするか?
さて、なぜこのように実際の確率と主観的な確率、利益と損益の主観的な喜びは違うのでしょうか?
説として
1.そもそも人は統計情報を処理できるようにできていない。
2.人は死んだらすべてが終わるため、損失に目が向くのはしょうがいない
という理由がいえます。
1、のそもそも人は統計情報を処理できるようにできていないというのは、人の直感というのはあくまで連想記憶から構成されたものであるため、数字的処理を行うのが非常に苦手なわけです。
「1%で死ぬ」といわれたら死ぬに対して非常に恐怖を連想するためです。
逆に、「95%で100万もらえる」と言われたらもしかしたら、95%に反応して利益がもらえないかもしれないと考え不安になるのです。


2.の人は死んだらすべてが終わるため、損失に目が行くようになった。というのは、私たちの祖先はなにかの損失と利益を同じ期待値で考えていたら、損失を引いたときには死ぬかもしれないという大きなリスクが待っていました。魂の借金は残念ながらできなかったのです。ですから、損失を極力減らして、確実な利益に食いつくようになったのは自然な流れだといえます。