意思決定は間違いばかり!? 4



楽観的な人と悲観的な人
世の中には楽観的すぎる判断と悲観的すぎる判断が多く存在します。
もちろん私たちは、超合理的な人間ではないですがしかし、自分の間違えを認識できないのは、リスクになります。


楽観的過ぎる人々
もしも、世界に楽観的な人々がいなかったら経済的成長はありえなかったでしょう。
誰かが楽観的に借金をして、そのおかげで経済が成長してきたといっても過言ではありません。彼らはすすんでリスクを好みます。「起業をした人で三年後に倒産する会社は、約40%です。」と聞いたらまさか自分がその60%に入るとは思わないでしょう。これが楽観的バイアスとも呼べるものです。起業家のほとんどは、自分の成功確率は60%と見積もっています。これは実際の二倍近くですね。
ではなぜ彼らは楽観主義になるのでしょうか。
1.目標に集中しすぎて、一度立てた計画がアンカーとなって基準率を無視するから。
2.自分が何をしたいかを見すぎて、他人の意図や能力を無視してしまいがち。
3.運の要素が強い領域ですら自分の実力のせいにしがち。
4.自分の知っていることばかり強調して、自分の知らないことには目が行かなくなるため。


実際にスタートアップなどでは、自分の努力以上に市場の環境などの外部的に成功要因が存在する可能性が多い。そのことを認識できる人々は非常に少ないのですね。


ですから、意思決定シリーズで何回か述べているように、人の直感は基本的に自分の連想記憶から構成されているものなのです。しかも、それの連想記憶を人々は過剰に信じる傾向があります。
ですから、自分の成功した経験(クラスでスポーツが一番強かった)とかの記憶から自分はビジネスで成功するだろうと考える人々が続出するわけですね。


では、このような連想記憶から構成された人々が正しい意思決定をするためには、どのようにすればいいのか。それは、外部情報を参照して自分の意思決定以上にそちらの情報を重きにおくという方法があります。


例えば、
「ガンジーは何歳でなくなったと思いますか?」
とかの質問があるとき。
たいていの人は、自分の祖父が何歳でなくなったかとか、ガンジーによく似た人は何歳でなくなったかという情報を参照します。たしかにこれでも、ある程度は正確な判断を下すことはできるでしょうが外部参照を使えばもっと正確に答えることができます。
外部参照とは、具体的に言えば正確な情報である統計情報とかですね。
今回の問題の例でいいますと、その年のインド人の平均年齢を参照するほうが、よっぽど正確に答えることができるようになるのです。
また、もう一ついい方法として、他人の意見をしっかり聞くというものがございます。
自分の信頼における人物を二人ほど、知っておいてその人物から意見をもらうのです。
人は自分がバイアスにかかっていることを自分では気づくことができません。ですから、外部から情報をもらうことの合理性がますのですね。


しかし、もっとも一番の問題点は楽観的過ぎる人々はそもそも、他人が自分より上だと決め込んでいるため他人の意見をまったく聞きうけない可能性が高いですね。


まあ、でも楽観的バイアスは自分の突き進む道を切り開くときに、横槍に対しては非常に硬い決意で答えることができるので、それはそれで合理的ですね。


さら、自分の研究分野を誇大広告しない研究者はいないように(自分の研究分野の世間貢献度を大きめに見積もる)、楽観的バイアスはそれなりにメリットがあるといえるでしょうね。


死亡前因子分析
これらの点を踏まえて、現状楽観的バイアスに対する対処として、死亡因子分析というものがございます。ゲーリー・クラインという研究者が生み出した方法で、自分の心にこう問いかけるのです。
「先ほど、計画したものが大失敗に終わりました。どんな風に失敗したのか紙に10分ほど考えてから書いてください。」
と自分の心に問いかけるのです。
なぜ、これが効果的かといいますと。
1.自分の連想記憶がそれは成功すると定義づけているけど、自分の過去の失敗と比較すると明らかに失敗することが明確になるから。
2.そもそも、人は自分が失敗するなんて微塵も考えていないため、計画を反証すること忘れがちになってしまう。
3.失敗に対する対策は計画がはじめる前から用意すべきだから。
などがございます。
人のバイアスを主な原因といて、見たものがすべて(連想記憶による構成された思考だから)なので、見えない要因と深く考えることの重要性が見受けられますね。



悲観的な人々
とうブログでは、以前にも損失回避する人々として紹介しておりますが。
どうも、人というものはリスクには過剰は過剰に避けたがり、明らかに薄い利益だとしてもそれにしがみついてしまう、とういう性質があるようなのですね。


悲観的な人々とはどのような人々なのでしょうか。



現状維持バイアス


経済学の世界では、仕事における給料と休暇の場合ではトレードオフの関係にあると表現できます。
例えば、
A:年収600万 有給5日
B:年収400万 有給15日
という条件があるときどちらの条件も、満足度はほぼ同じというわけですね。
では、皆さんが仮に現状Aというポジションにいたとして、Bのほうに変わってくれと言われたらどうですか?
理論上満足度は同じなため、誰でもyesと答えるはずです。
しかし、現実違います。年収が200万円も下がる!ということに着目した人は、有給が10日増えるとメリットよりも損失が大きく感じます。
逆に下の条件にいた人はどうでしょうか。有給が10日もなくなるというデメリットに着目して、年収が200万円も上がるとメリットよりも損失が大きく感じるはずです。
つまり、ですね何かを保持している状態から別の領域に行こうとするときに、人は必要以上にその何かに対して執着してしまうとうことですね。
この現象を別名で保有効果ともいいます。
人は何かを保有するとそれの価値が市場価値以上に高いものだと感じてしまうのですね。


実際に自分の保有しているものの主観的価値と、市場価格との差額を調べた実験があったのですが、自分の保有しているものは約二倍の価値を人は感じるそうです。


損失は痛い
また、次のようなギャンブルがあるとしてあなたは直感的に参加したいと思いますか?


「50%で10000円を失うが、50%で12000円が手に入る。」


たいていの人は、このギャンブルには参加したと考えないはずです。
なぜなら、自分が失う10000円に注目しすぎるからです。
このように、基本的に人は損失ばかりに目が向き合理的な決断ができない生き物だということですね。


悲観的すぎる思考に対する対策
楽観的バイアスの対策として、外部の情報を参照するといっていましたがこの悲観的すぎる思考もそれが適用されるといえます。
例えば、自爆テロと聞くと非常に恐ろしいイメージが生じますよね。ですけど、このような質問をしてみてはいかがでしょうか。


「自爆テロでは、年間30人が死ぬ」
「交通事故では、年間3000人が死ぬ」
このように冷静に統計情報を触れると、交通事故のリスクの100分の1しかリスクがないのですね。


私たちは、メディアを通して自爆テロの悲惨さが頭にしみこんでいるといえます。その連想記憶が自爆テロ危険!!と発想させるのです。しかし、本当にそのリスクは危険なものなのか再び考える直す必要がありそうですね。


リスクポリシー
リスクポリシーという考え方がございます。つまり、あらかじめリスクに対しては必要以上に額を出費しないという考え方ですね。
「年間の保険料は絶対20万円以下」、「株価は一週間に一度だけ確認する。」とかですね。人は必要以上にリスクに対して、対策をしすぎるので対策できないものは諦めて、できる範囲のリスク対策をするというのは非常に大事なことなのですね。


まとめ
楽観的すぎる人々と悲観的過ぎる人々が世の中に存在することがわかりましたね。どちらが悪いというわけではないのですが、これらの人々が意見を交えることによってより正しいニュートラルな意見が生まれることが多いと思うので、反対意見はぜひとも聞くべきかもしれませんね。